「巨瀬町の歴史散歩」
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九、安 元
1、安元の名称について
日本中には祇園寺というお寺が巨瀬以外にもあるが、そのお寺の麓にはどこにも安元という地名があると聞いている。
2、弘法大師の足跡石
祇園山の麓 上森辰美氏宅の裏山に元は祇園山の八足谷にあった弘法大師足跡の八足の内の左右二個の石が祭られている。これは辰美氏の曾祖父利作さんが明治二十年頃「石が何かの災難にあわれてはもったいない。」と石の祠を造ってここに祭られたものである。
3、六角堂
市道横田津津線の安元地内字六角にあり、京都の祇園(祇園密寺牛頭天王社・現八坂神社)の参道に六角円堂の大きなお堂があり、その道を六角通りとも名付けられている。その祇園精舎になぞらえて祇園様参道の傍らに建てられたお堂である。もとは、現在の地より二百m祇園よりの袴掛正念道の四辻にあって祇園参道改修までは、屋敷のあとが見られた。本尊に阿弥陀如来、馬頭観音、弘法大師等安置されている。近年茅葺職人さんが居られないのでやむなく瓦茸に変えられたが建物も六角、柱も六角、屋根も六角で、ひなびた趣きでまれに見る建物である。この地区は、郷土自然保護地区に指定されている。
4、御崎社
宮瀬川の上流安元の西方に字 河原地、祇園表本坂参道の登山口に御崎社がある。岩山神社に合祀の時に、神霊そのものは元の社の所へ残られたよしお告げあり、いまだに安元・和名谷の氏子により護持され、時折お祭りも行われている。
5、腰折地蔵
河原地より西へ約1kmの峠南側に昔は二間四方の大きなお堂があり、地蔵尊・弘法大師を祭ってあり、中井・新見方面への山越しの人々が腰を伸ばし一息したお堂であり、また、腰痛に御利益ありと参拝者が多く俗に「腰折地蔵」様といわれている。県道の付け替えにより現在は少し下り県道の道端にこじんまりと祭られて立ち拝み二、三人の腰掛けられる堂となっている。
6、袴掛という地名
安元の祇園寺東南の山麓に袴掛という地名が残っている。古老の伝えによれば、弘法大師祇園山にお登りの砌、この山頂は観音遊化の霊域だから、身を清め、袴を着けて衣を改めてお登りになられたところ故「袴掛」の名が残って居ると言い伝えられている。
7、アンノウネ荒神
字アンノウネに荒神社があり、昔は和名谷に多くの人家があって、その氏産生神として荒神講を結んでお祭りをしていたもので、今日でも1月28日組中から二人づつ出てお祭りを続けられている。