「巨瀬町の歴史散歩」

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十二、陰  地

1、陰地の名称について

 陰地とは陰(かげ)の地と書くが、実は陽当たりのよい所で非常に美味しいお米の出来る巨瀬町内の一等地である。学校もあれば農協や地域市民センターもある巨瀬町の中心地になっている。オンジというのは実は恩賞の地という意味で、手柄を立てた時に貰う恩馬などと同じく恩賞の地という意味をもっている。昔元暦二年(1185)源義経が平家追討の時、片岡八郎弘常が壇ノ浦で、神璽を拾い上げた功によってこの地を賜った恩地で、いつの問にか恩が陰に化けたのです。陰地にはその歴史を語る粧田山城の山や歴史地名が色々残っている。

2、三渓校命名の由来

 巨瀬小学校は明治6年2月28日に生まれ三渓校と命名された。これはこの地が緑の山美しく、清らかな三っの谷(午王渓(ごおうだに)・有漢川・宮瀬谷)が流れているまとまっている地という意味である。

3、午王渓(ごおうだに)

 ここは規模は小さいが総社市の豪渓に似ていて、古来名勝地として近郷に知られている所である。ここにある「甌穴」は平成元年3月22日市の重要文化財に指定されている。ここの地盤は花崗岩で古生代や中生代・白亜紀(二億年前)のもので、滝の後退で出来た(滝壷)、そのはか河床が転石に削られて出来たもので、岡山大学理学部地質学教室の鑑定によると、県下でも珍しい地形といわれている。

4、大きな砂防地(約百町歩)

 粧田山城址から出城の鶴山までは俗に「砂城」といって、敵の攻撃に備えての禿山だったが度々の洪水の為に下流地が及害を受けるので、明治17年に有名な高崎五六県令の時代に備前市福田の宇野円三郎という治山治水の権威者により、長期に亘って砂防工事が行われた。明治29年に建てた記念碑が今も陰地に建っている。この工事による赤松林は松茸の名産地になっていたが、松くい虫のためにほとんど姿が見られなくなってきた。この時の砂止め堰堤(石提塘:せきていとう)は当時の工事を示す記念として大事な文化財になっている。

5、巨瀬中学校四十八年間の歩み

 美しい鎮守の森と清流有漢川に囲まれた地に、昭和22年4月28日の開校式で幕を開けた巨瀬中学校の歴史をふりかえってみる。上房郡巨瀬村立巨瀬中学校として、全校生徒163名・教職員6名(年度末には10名に)開校されました。 PTA組織もその年に発足している。 この年に校舎建築が始められ、23年5月28日に新校舎落成式を挙行、その秋には炊事室や宿直室が完成している。25年には運動場の拡張工事が実施され(36年にも拡張整備)職員室があった前校舎の建物は、29年に完成、30年には講堂建設(屋内体育館)や午王谷からの水道工事(上水道は60年に整備)などが行われて、ようやく巨瀬中学校の姿が出来上がった。 生徒数の変遷についてみると、200名を越えたのが昭和36・37・38年で、103名の卒業生を38年度には送り出している。それからは生徒数が減少に向かい、各学年とも一クラスとなったのが昭和47年、全校生徒が100名より少なくなったのが昭和48年(96名)からだ。なお、平成六年度までの卒業生は、総数2,022名の多くを数え、社会で活躍されている。

 主な出来事を簡単に列記する。

昭和26年7月

この年から京都、大阪、奈良方面へ卒業旅行実施

29年5月

高梁市制施行で、高梁市立巨瀬中学校に変更

29年7月

職員室等校舎唆工
     (市内中学生大会でソフトボール女子・排球女子優勝)

30年5月

講堂(屋内体育館)落成

32年4月

創立十周年記念式、校歌発表会、ピアノ贈呈式

32年10月

職業家庭科研究会(日本職業指導協会指定)

36年3月

被服調理教室唆工

38年6月

技術教室唆工

39年1月

牛乳給食開始

 12月

備北地区英語研究会

44年8月

プール唆工式

  5月

修学旅行が北九州方面へ向けて実施される。

45年11月

高梁上房駅伝大会優勝

46年1月

学校安全優良学校として県表をを受賞

47年9月

完全給食実施

  10月

特別活動研究発表会(岡山県教育委員会指定)

57年12月

サッシ窓に改造着手

58年2月

スキー教室始まる。

62年1月

パソコン導入八台(最終生徒用は19台)

   8月

全校キャンプ実施

平成 3年9月

台風19号が大きな被害をもたらす。順次屋根瓦葺き替えられる。

6年5月

男子頭髪自由化(高上川駅伝大会女子優勝)

7年6月22目

高梁市議会で巨瀬津川統合議案が可決

8年3月26日

高梁市立巨瀬中学校閉校式

 

 また歴代の校長先生方は、初代の横田亀男先生から佐藤 進先生まで十三人を数えます。そして巨瀬中学校の教育に携わった校長先生以外の教聴員は、148名の多くを数えています。