「巨瀬町の歴史散歩」

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七、野  前

 1、野前の名称について

  地区合併整理の時の名前であろう。野前の野は草木の繁る清浄な野原の野で、前は前後の前で前進の意を持つ縁起の良い字である。

 2、増 福 寺

  この寺の什宝は見眞大師四幅御絵伝で浄賀法眼筆と往生要集伝四幅浄賀筆である。この寺には安政三年に寄進された数多くの絵天井があり貴重な物である。最近増福寺の老朽化が激しくなり津川町の出口ヘ移転建立され、数多くの寺宝がそこに移され補修され一段と輝きを増している。

3、前田の念仏塚

  茶屋の島田家の墓地に、珍しい伝説の念仏塚がある。大昔先祖が生きながら墓の中に入り、念仏を唱えながら大往生し、21日目に墓中の石室に通じる竹筒の穴から聞こえる念仏の声が途絶えたとき、その穴を埋めてもらったということが言い伝えられている。

4、六名村の名石

 六名には石の名産地にふさわしくかって六箇の名前のついた名石があった。これはこの地方にとって何物にも替え難い宝物であり、永久に人々の頭から消えない誇りであるが現在は三箇しか残っていないことは残念である。

1、ホロロ岩(現存しない) 

2、えぼし岩(松森新作氏宅上) 

3、たて岩(島田長二郎氏宅横上)

4、うす岩(島田長二郎氏宅横上現存しない) 

5、ろっくう岩(田島栄一氏宅横) 

6、たいこ岩(平松垂吉氏宅上・現存しない)

5、粟嶋さま(淡島さまともいう)

 野前下部落には、女性の神様といわれる「粟嶋さま」が祭られている。この神様は婦人病にかかわる神様と言う事だ。粟嶋明神は、和歌山市海草郡加太村に本尊があり、住吉明神の妃の神といわれている。 江戸時代に淡島願人という者が、粟嶋さまは女性を加護する神であると説いて立願し、加護をうけると、衣服の寄進を受けその切れ端を身につけていると、粟嶋さまの神徳があると唱えて全国を歩いたので、ぼろを身にまとって居るものは、粟嶋さまのようだといわれるとか……この地区のものは変な服装をしていると、「粟嶋さまのようだ」といっている。 お祭りは、年二回春・秋の彼岸の中日を中心に安全祈願を兼ねて、何時の時代からか大磐若経を全員で唱えてお祭りをしている。