「巨瀬町の歴史散歩」
プルダウンメニューで見たいページを選んで下さい。
十四、片 岡
1、片岡の名称について
片岡というのは、粧田山城主片岡氏の片岡からとられた名称といわれている。筆者が明治の子供の頃は「ほむら」と言っていた。この語源については、片岡村といっていた時代巨瀬町の本村として人々も考えていた時代があった。「ほんむら」が転じて「ほむら」になったともいわれていたようだ。大きな屋敷跡や、墓地の話なども残っている。
2、星大明神
片岡公会堂の近所に星大明神というお社がある。このお社のご神体は丸い普通の石であるが、昔は天から降って来た隕石であったと言われている。隕石が降って来た話は隣村の実相寺にもあり、古老の話をあれこれ推理・憶測・整理してみるとどうも幕末の文化・文政の頃と考えられる。
3、常夜灯について
片岡部落の原田宅前から少し東へいった所、三和宅へ入る十字路の角に高さ2mほどの常夜灯がある。この常夜灯は天保六年(1835)建立との銘がみえる。野目羅大師堂へお参りする道灯台としての役目を果たし夜ともなれば誰いうとなく灯がともり参道を照らしていたとか、今では常夜灯としてのたたずまいを、昔と同じように見せている。
4、塞ノ神について
塞ノ神は、福岡宅前の川端近くに小さい祠がある。塞ノ神は、よく村境また峠に良く見られる。塞ノ神は、部落へ入ってくる悪疫を防ぎ、悪霊を入れない神として祭ってある。この部落の「塞ノ神」は耳の病気の神として、また耳・鼻・喉の病気のとして祭られている。片岡部落の長老は、山の神として樵の安全の神として祭られていたといい、近年まで、薪の小さい束をお供えしていたとのことだ。
5、野村資料館について
野村先生宅の庭へ回れば、まづ目につくのが「ヤップの貨石」大小とりまぜ、ところせましと並んでいる。その蔵仕様の建物が資料館である。二階へ上がれば、ヤップ島の人々の日常生活のこまごまとした品物から、貝の数々、また、生活の匂いが伝わる品々が、ところせましと、あるものは天井に届く大きな物があるかと思えば、小さな貝も数多く整頓されて並んでいる。一つ一つの品物を酋長の協力の上集められた先生の努力に敬意を表すとともに、貴重なものと大切にしたいものである。「野村先生とヤップ島」今でも連絡し合って、深いつながりが続いていると言う事である。どこからかヤップ島の人達がのぞいて、ヤップの民族音楽が聞こえてもおかしくない雰囲気のする資料館である。