「巨瀬町の歴史散歩」

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四、鴨木と仲畝

 1、鴨木の名称について

  鴨は種類が多く、北方で繁植し秋になると波来する冬鳥で、水辺にすむ鳥である。マガモ・コガモは山地でも繁殖する。この鴨がある時期になると、この地区にたくさんやって来てこの辺の木々にとまったというようなところから来た名前かも知れない。現在川は流れていないが、この部落の字蛇骨には昔沢山の池があったと伝えられているので、このようにも考えられる。

 2、仲畝の名称について

  仲畝は、辞典を見ると「畝とは田畝の中に土を長く盛り上げた所」と出ている。仲畝には丘陵のような山が畝のようになって部落の中に延びている。そんなところからこの名が生まれたのではないかと考えられる。

 3、蛇 骨 池(じゃこついけ)

 蛇骨という所には小さい池や昔池であったらしい所がたくさんある。ここには大蛇の骨(白色の胴の骨、黒色の尾の骨)らしい物が出るというのでいろいろな伝説を生んでいる。「お寺の坊さんが鐘をつくと木野山から大蛇が出て来て坊さんを呑む。そこで鐘に衣をかけて中に毒を入れて置きそれを呑ませたので、大蛇が蛇骨池で死んだ」とか、又は「坊さんが大蛇と戦ってその時坊さんが持っていたほら貝が底に沈んでいて、そのほら貝は掘れば掘るはど深く沈み掘り出すことができない」とか。これを近代的・科学的に解釈すれば、蛇骨とは貝の化石ということが考えられるのである。昭和42年この蛇骨の近くの津川町実相寺川面町井才線林道工事の時、ブルトーザーが白い貝の化石を沢山掘り出した。そこで岡山大学地質学教室で鑑定の結果、三千万年〜四千万年前の中新生中期の淡水の巻き貝化石であると鑑定された。そして黒色化石は石炭であって、石炭がでるということは昔から陸地であった証拠にもなると言われた。

 4、金鶏伝説(きんけいでんせつ:埋蔵金伝説)

  仲畝には昔から「朝日さす夕日輝くその下に金の鶏ひとつがい」と言って地下に金が埋蔵されているという伝説がある。事実この伝説地には五輪様が祭られているが、そのあたりから古銭が掘り出された事があるとのことである。伝説の「地下の金」とは果たしてこの古銭とか、それともこの部落にある「火の釜古墳」の埋蔵品にまつわる伝説なのか、或いはまたどこかの地下で未だに黄金が眠っているのか、まことに興味深い伝説である。