「巨瀬町の歴史散歩」

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六、家  親

1、家親の名称について

  永禄三年(1560)備中兵乱幕開けの頃松山城主となった三村家親(父)と元親(子)の「三村塚」が、この部落の三村家にあるが地名はこの家親から来たのではあるまいか。

 

2、郷倉(ごうぐら)

 家親にある郷倉は三村隆一氏所有のものであるが、これは昔旧藩時代に年貢(ねんぐ)として収められた米・麦・豆などを保管する土蔵で、現在残っている唯一のもので、間口5.4メートル、奥行3.4メートル、高さ3.4メートルの大きさで、市が昭和42年10月21日 市の重要文化財として指定された。この郷倉にまつわる古文書など多数みつかっている。

3、千 柱 寺

  ここの寺には、珍しい三本葉を持った大きな松があり、八本の枝が庭いっぱいの空に広がっていて参拝の人々を驚かせていたが、平成七年夏「松喰い虫」の被害で枯れてしまった。まことに惜しいことである。 ここの寺には寺宝として「大般若経写本九十三巻」がある。この経本は、弘仁(810〜822)の頃、玄賓僧都が当地へ巡視の時写されたもので全部で六百巻、備中砦部の地頭藤知定家に伝わったものを、当人が当山へ寄付したものであるが、文禄年中の火災によって九十三巻になったと当山の縁起書にある。また、古文書などもことごとく灰に帰してしまった事は、残念といわざるを得ない。